2016年9月8日木曜日

日記 20160908 たぶん初秋



まだ紅葉には早いですが、ここ2〜3日、いっきに気温が下がりまして、
札幌寒いです。
雑草をみていると、「ああ、雑草元気なくなってきたなぁ」ってわかるんですが、
気温が下がった証拠でございますね。

今年の日本は、台風にいじめられてる。
もうやめてほしいなぁ。自然のことばかりは、去るまで忍ぶしかない。

これ
http://snngwhdo.blogspot.jp/2016/07/20160721.html

新潮社の漫画賞、〆切迫ってきてます。

楽しみです。
いわゆる出版不況が言われ出し、電子書籍というものが市場に誕生して…
というこの20年ほど、そんな時代に著者として漫画本を描く、
それをもう15年も専業の仕事としていて思うこと。
漫画家の仕事の仕方も、古式ゆかしい漫画家のスタイル(4畳半スタイルとか、スタジオスタイルとか)から、だいぶ変容して多様化してきたように思います。
WEB漫画も当たり前になり、兼業漫画家も多くいるでしょう。
漫画家とはかくあるべし、なんて価値観を押し付けられた時代もありましたが(デビュー間もないころは、担当編集者からの押しつけが重かったなぁ)、まぁ恋に恋するじゃないですけど、「徹夜してひいひいゆって身体壊しながら頑張ってる毎日」のような漫画家生活のイメージに憧れてる人もいると思いますし、なりふり構わず単純に漫画が好きで描いてる人、一攫千金を狙ってビジネスライクに戦略を立てている人、いろいろだとは思いますが、自分の好きにするのが一番!と僕自身は思っています。

とりあえず今は犠牲心より自分自身を大事にする時代だと僕は思うわけです。
それは、自己犠牲に基づく表現が古いという意味ではなく、受け取る消費者がそうであるから、作り手の自然体の感性が読者に自然に響く、という理由が大きいです。
特に漫画は、小規模でもできる(=商業的に回していける)創作活動です。スタッフを何名も抱えて大規模な制作スタイルをとっている作家さんのことは勿論尊敬しておりますし、それでなければ描けない作品もあるとは思いますが。
例えば80年代以前、バブル世代以前の読者は人口も多く、また管理される社会に辟易していたので、体制に逆らうことであるとか、大人に歯向かうこと、社会の歯車になることのプライドと歯痒さのジレンマ、集団の力で時代を動かすカタルシス、そういうものがテーマとしてあったと思いますが、90年代以降の読者は、少子高齢社会や自然災害の脅威の中で不安を抱え、過剰に豊かになりすぎた毎日の中で、迷いながら自分の小さな幸せを探しています。
また2000年代以降の若者は、つながりを持ち続けることや友達の幸福を祝福することに熱心です。それは他人を妬んだりやっかむより、他人の幸福を素直に祝って、友達の輪に自分もいるほうが、自分も幸せになれることを知っているからです。
自分を大切にすること、その中で自然に沸き上がる表現、それが読者に響くのではないかと考えています。
ただ、時代はめぐるので、また自己犠牲心に溢れた作品が流行る時代もくるかもしれませんが。漫画は時代を写しますゆえに。
ここまでこんな時代考察を描いておきながらなんですが、週刊連載時に何人もスタッフを雇って漫画を描いていた頃もある自分なので、そういう漫画作りの興奮やグルーヴ感の面白さもわかるだけに、強い憧憬はあるんですけどね。

自分を大事にした先にある表現、もちろん、読者を驚かせるようなクオリティを求めますが、なんとなく、自分なりに今の時代のポイントなのではないかと思っています。
いやいやちょっと待て、お前はわかってねぇ、勝手に決めつけるなと、声も聞こえてきます。そりゃそうでしょう。他の人は、まったく違う価値観を持っていたりするでしょう。それが自然です。それこそが多様化です。そしてたぶん、そのいずれも正解です。正解は沢山あるのです。
まぁ一人のプロ漫画家10年選手として、いま自分はそう思います、ということでございます。
5年後にはまったく違うことを言ったりするのも俺です。

拝読するのを楽しみにしております。